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岡本晋の博士論文「地域政策のための適応的デザイン」が素晴らしい

岡本晋の仕事に初めて触れたのは、中山郁英との共著論文「政策をデザインするとはどういうことか?──デザイン学と行政学・公共政策学における視点の整理」だったと思う。両分野の交錯を歴史的に整理しており超おもしろかった。

そう感じた理由は、公共政策系の議論は(少なくとも政策にかかわるような仕事をする)デザイン民からもっと真面目に読まれるべきだと考えているからだ。たとえば、政策を実行するフェイズにおいて、ごく一部で開催される住民ワークショップのツールキットをつくったとしよう(自分も経験がある)。これを自己評価するとき、ある政策が政策として成立し、実行され、評価される一連のプロセス(政策過程)に配慮しなければ、その場が盛り上がって付箋いっぱい貼ってもらったし、ヘンなカテゴリーやラベルも生成されたし、あとで感謝もされたし、総じて成功した気がする……というようなことになってしまうのではないか(もちろんなってしまったことがある)。それぞれのワークショップとしての成否はそれはそれで判断すべきだし、まったく悪いことではないが、そうした評価だけでは政策に対する介入として優れていたかどうかを判断することは不可能ではないか?

──こうした疑問をもっていた自分にとって、氏の博士論文「地域政策のための適応的デザイン」も非常に有益だった。厳密には、読んだというか、ぶっちゃけまだザッと見だが(どうせ時間が経つとサボるし)、大興奮って感じなので、勢いでツラツラ感想を書きたい。

この論文が自分にとって素晴らしいのは、公共政策に対するデザインの介入がどのように機能しているかを、政策サイクル全体のなかで位置づけようと試みている点にある。枠組みだけでなく事例の記述もおもしろくて、山梨県市川三郷町でおこなわれた若者会議みたいなケースでは、1.市民主導のアジェンダセッティングが自治体とどのように摩擦を起こしたか、2.摩擦でぶっ壊れずどのように正統性を獲得していったかが分析されている。(ぼくも書いたことあるが)ワークショップの成果報告みたいなケース論文では見過ごされがちな、デザインの介入のあとに起こった変質や逸脱、あるいは予想外の展開がちゃんと記述されている。

読み味としても、普通に政策過程の論文を読んでいるようなノリになっていて(逆にここまでやらないといけないなら無理ではという気すらしてくるがw)、日本語で読めるデザイン系の論文でここまでやったものはほぼないのではと思う(あったら教えてほしい)。政治過程の論文ではないけれども、デザインがどのように権力や利害調整のなかで振り回されるのかも感じ取れる。

閑話。マジで素朴な印象だが、最近見聞きするデザインの理論や方法論は、とにかくトピックをデカくするものばかりだ。脱人間中心とか、システム全体をデザインするんだとか、対象になる存在もいっぱいすぎるし、時空間的にもほぼ無限じゃんっていう。

この論文でもかなり唐突に、過去や未来の人間のことも考えるデザインみたいな話が補論として置かれている。

これらが要請される文脈はもちろん理解できるし(人類は反省しなければいけません)、自分も具体的に考えたいトピックがあるんだけど(その告知は来月します)、言うまでもなく、デカくすりゃいいってもんでもないはずだ。デカい問題を解決したいなら、その議論に取り組むツールをつくるだけではなく、ツールがどの段階においてどのように機能しているか分析する方法も開発すべきだろう。そういう意味でも、岡本博論が政策とデザインに関心のある人たちに留まらず、デカいものを対象にするデザインの理論や方法論全般とともに読まれてほしいと思った。