計算機と詩のリストをつくってみた
前回の記事に引き続き、計算機と詩について考えたいと思っている。そこでCodexといっしょにこういうリストをつくってみた。
新しいことを勉強するとき、当然のことながら、そもそも自分が勉強したいことがなんなのかわからないという問題がある。そりゃそうだ。対象のことがわからないのだから、自分がそれについてどう考えるかもわからないに決まっている。考えはもともとあるものではなく、勉強を通じて形成されるし、変化もしていくものだ(詳しく知りたい人は千葉雅也『勉強の哲学』を参照)。
そうはいっても、なんとなく全体像を知りたいと思うのも人間の情であり、ぼくはそんな(愚かな)人間のひとりである。というわけで、無意味ながら俯瞰しようとする努力をおこなってみた。その結果がこのリストである。
リストは人物編と場・組織編に分かれている。1890年代のマラルメから、1950年代のマンチェスターで計算機に恋文を生成させたChristopher Strachey、東大の渡辺茂研究室やCTGといった日本の黎明期、Eastgateのハイパーテキスト文学を経て、2025年の展覧会《計算する詩》などなど。
AIに学術系の検索APIを使わせて文献をいろいろ出してもらい、それに対して質問しながらつくった。どのような場や組織、制度があるか。共通して参照される作品はあるか。この枠組みから逸脱しているが重要なものはなにか。作品や作家にとって外在的な(感じがする)質問をたくさんぶつけていった。
そもそも計算機と詩というのは、ぼくが勝手にそういうテーマがあることにしただけである。したがって、どのような解釈もありえる。コンクリート・ポエトリーやヴィジュアル・ポエトリーといったジャンルの一部を指すかもしれないし、文字がいっぱい出てくるメディアアート的な作品のことかもしれない。そもそも両者は重なっているかもしれないし、そうでもないのかもしれない(これ自体リストをつくるなかで浮かんできたことだが)。
このリストはなにか問題があったら……というより問題だらけだと思う。というわけで、ちょっとでも具体的なトラブルの気配を感じたら非公開にします。それでも公開するのは、勉強したい人にとって入口にはなると判断したため。